銀座お化け屋敷の歴史
銀座おばけ屋敷の歴史

実は、長〜い歴史があるのです。


昭和40年代の銀座通り(イメージ)七夕飾りを見に大勢のお客様でにぎわいました。

七夕のイベントでサンバカーニバルを開催したことも、鯨の解体、即売会なんてのもありました。


現在の銀座通り、商店は閉店が続き、中心市街地でありながら限界集落となる。(さびし〜い)

昭和40年代、東京オリンピックを開催し、日本中が高度成長期に沸いていました。
当時の鹿沼市の銀座通りもたいへん多くのお客様でにぎわっていました。
銀座おばけ屋敷もそのころに発生しましたが、最初は子供たちのイタズラ程度でした。
七夕の来場者をおばけのお面で脅かしたり、2階の窓からオバケやコンニャクを吊るしたりして
往来のお客様に悲鳴をあげさせていたのがスタートでした。
銀座にオバケが出る!と話題になりましたが、銀座商店街振興組合で本格的にやってみよう!と、
一角に小さなオバケ屋敷を誕生させたのが始まりでした。
以来、毎年オバケ屋敷は評判で七夕の恒例イベントとなっていったのでした。
しかし、時代は変わり平成を迎え地方の商店街は大型店に圧倒され軒並み閉店を余儀なくされ
また、商店の経営者の高齢化が進み、跡取りのいない商店では営業継続そのものができないという
社会問題に地方都市の中心商店街は文字通り軒並みシャッター通りと変貌していったのです。
銀座通りも例外でなく、居住者が16〜18人と超過疎化がすすんでいます。
しかし近年、空き店舗だらけの商店街で若者たちの手によってお化け屋敷が復活させられました。
この事で、来場者は「私が子供のときに脅かされたオバケ屋敷が復活し、今度は私の子供たちが
脅かされるという経験の繰り返しが感慨深いです。」と語られておりました。
夏場だけの賑わいではありますが、この糸口から新たな商店街へのつながりができ、街づくりの
一助となれば素晴らしい事だと考えております。

<


TOP